こんにちは。けいちん(@Kco_nakajima)です。
ひさびさに日本海へ釣りへ行きました。
特にどこと決めているわけでなく、車の停められそうな港へ降りて何度かキャストしてはまた移動して…を《調査》と言いながら繰り返す夫の脇で景色を眺めていました。

岬の先には弁財天。

その根元にあるのは…

「 !!! 」
偶然見つけた小さいトンネルは信越本線が非電化単線で走っていたころの旧線のトンネル。遠目からもレンガ造りでそうとう古い建造物のよう。
釣りもいいけど(アタリもないし)…コチラの《調査》に切り替えて追いかけてみました。
旧線が現役だったころ 北越鉄道として開通
最初の見た旧線のトンネルが造られたのは明治の中ごろ。当時、北越鉄道(ほくえつてつどう)が直江津~新潟間に鉄道を敷設しました。
今回《調査》した米山駅から青海川駅の区間は明治30年に単線で開業しました。
海岸線ぎりぎりまで山がせまり地質も脆く弱い米山駅~青海川駅区間には、 8 箇所のトンネルがあります。旧米山第三号トンネルの掘削時には崩壊が起こり 13 名の埋死者をだしたほど、危険な工事でもありました。
当時の工法ではトンネルや橋梁でレンガが使われるのが一般的で、柏崎で作られたレンガが使われたということです。今回の《調査》でもこのレンガを、当時の構造物の目安として探しながら歩いていました。
北越鉄道から信越本線となり非電化単線路線は廃線へ
1907 年(明治 40 年)に国有化。
当初の路線は海岸線に沿って曲がっているうえに地すべりも多く、少しの雨でも不通になるというような路線でした。
不通になることが多い路線でありながらも日本海を縦貫する路線として貨物の需要が多く、昭和 40 年代の電化複線化実施の際には難所を避けるように長いトンネルをとおして新線をつくりました。
廃線のちに米山海岸歩道として復活
昭和 42 年から 44 年にかけて電化複線化がすすみそれまでの非電化単線部分は廃線となり、その後は遊歩道として整備されました。

ですが、
板で天上や壁を覆って補強してありますが遊歩道としては照明が暗く水溜りがあり懐中電灯を用意した方がよいと思います。
平成 16 年( 2004 年)にレクレーションで遊歩道を使ったかたのHPより引用
というような状態だったようですね。
土砂崩れや中越沖地震により遊歩道としても通行困難に
平成 17 年( 2005 年)の土砂崩れ。
平成 19 年( 2007 年)新潟県中越沖地震。
もともと地盤の弱いことと大きな災害により出入口が埋まってしまったものや劣化により遊歩道としても通行困難な状態です。
2018年現在の様子をレポします
現在、通行可能なトンネルは第五号トンネルのみで、それ以外は一般の人が内部を通ることができるトンネルはないようです。
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【土木史研究 第13号 1993年6月 自由投稿論文】わが国における鉄道トンネルの沿革と現状 より引用
米山駅に近いトンネルから第一号、第二号…と、また、近い側が入口、遠い側が出口となってるようです。
今回の《調査》で確認できた部分を画像つきでレポします。
旧米山第一号トンネル
米山駅近くにある入口のみ確認できました。


通行は不能。入口は高い木製の壁で遮られていました。

旧線のトンネルを背に米山駅を臨むと米山駅に停車している電車がまっすぐに旧線のトンネルに向いているのがわかります。
聖ケ鼻の反対側にある出口部分は確認できませんでした。
旧米山第二号トンネル
第二号トンネルを探し聖ケ鼻の展望広場から見下ろします。第二号トンネルは埋まってしまってるのか。

「 !!! 」


トンネルポータルの上部のようなものが見えてます。これが第二号トンネルとすると入口は確認。この出口側は……

↓この部分が出口なのでしょうか、この画像の下方側から歩いてみることに。


実際に歩くとアスファルトの状態も悪く、左側(崖側)ののり面が崩壊して路上に土砂が流れ落ちてきているところや右側(海岸側)へ路肩が大きく崩壊している部分もあり…


海へ流れる川をまたぐようにレンガ造りの部分が見えています。
足元の悪さに加え、さらに、目の前を小動物ではない動物(漠然としてますがもしそうだったらかなり危険な動物)の子どもらしき影が横切ったのを目撃したためあわててもと来た道を戻ることに。

↑一番近づいた地点でもトンネルの出口らしき構造物を目視することはできませんでした。
旧米山第三号トンネル

今回追いかけた 8 つのトンネルのうち、一番長い全長約 442 m。
掘削時に崩壊が起こって 13 名の埋死者をだしたというトンネルはコチラです。

トンネルですが『水道局』が管理。

トンネル入口の右上には滝。左は海岸線。もともとのトンネルポータルに付け足すように入口をコンクリートで延ばして補強してあります。
柵の間からカメラだけ向けて撮った画像。

暗くて肉眼では見ることができなかった内部。
遠くに出口に明かりを確認できます。板で補強している天井もところどころが板が抜け落ちてしまってる。コンクリートで補強する前のレンガのトンネルポータルも見えています。
出口側は確認できず。
旧米山第四号トンネル
遊歩道の案内看板を見ると、上輪海水浴場からの第三号トンネルか、もしくは、第五号トンネルを通らないと行かれないところにあるこのトンネルは、入口、出口とも目視で確認することはできませんでした。
GoogleMapで確認。

海岸線が山の影で確認しずらかったため天地(南北)が逆の地図になってしまいましたがご了承ください。

旧米山第五号トンネル
入口は牛ケ首層内しゅう曲の案内看板のあたりから見下ろすことができました。



唯一、現在も通れるトンネルのようですが、通行は断念。入口傍らにあるトイレが不気味さを増してます(もともと屋外のトイレは絶対ムリ派)。
釣り中に最初に発見したのはこの第五号トンネルの出口でした。

旧米山第六号トンネル
釣りをしながら見ていた風景に第六号トンネルの入口を探す。
現役線の近くにあるはず……

ココ !?

近づいてみる。川をまたぐガーター橋がしっかりと残ってました。

すっかり草に覆われたトンネルポータルのレンガがわずかに覗いています。

入口へと続くガーター橋とレンガの橋脚。

出口も、一瞬見落としてしまいそうなほど草に埋もれていた。

トンネルポータルの側面が道路に面していて手で触れることができる。100年以上も前に造られた構造物をこんなに簡単に触れることができるなんて、感動。

ここから同じ軌道上に線路の延長を辿ると海に向かっていた。旧線は海岸線のぎりぎりを走っていたのだろうか。

旧米山第七号トンネル
青海川駅のホームから見えるのが第七号トンネル出口。

画像で見える 2 つのトンネル、右側(海側)が明治30年の開業当時からのもので、電化の際に改築して使用しているとのこと。
旧米山第八号トンネル
青海川駅から現役線の外側に続く遊歩道。もともとは軌道跡でその先に第八号トンネルがあるはずですが…

うーーーん

ココ ??

すっかり草に覆われた遊歩道をさらに進むのは、断念。
もう一つのトンネル ?
これで8か所すべてを辿ったはずなのですが、画像の中に一枚場所を確認できないものが…
この画像、トンネルらしきものが。

国道 8 号線米山インターチェンジの交差点を北方へ向かうとすぐにあるパーキングに車を停めて、徒歩で国道沿いを見下ろしたときに発見して撮影したもの。

画像に写っていたのはコレのようです。
こたえは、ロックシェッドでした。これは昭和36年に設置されたとのこと。
このなぞのトンネルの正体をGoogleMapで検索していた際に発見したコチラ。

目視では確認できなかったけど、旧線の軌道跡でしょうか、ハッキリと残っているんですね。こんなに海岸ぎりぎりを鉄道が走っていたとは、おどろきました。
まとめ
今回は釣り中に偶然見つけた小さいトンネルから、旧線を追いかけたのですが、さらに記事にするために調べた資料から、わかったこと。
今から100年以上も前の明治の中頃に、こんなに危険な場所に鉄道を通した人々がいたということ。
その後も災害のたびの補修や復旧を繰り返し、その尽力や労力に感謝の気持ちが湧き上がってくる、今回の《調査》でした。
旧線8か所廃トンネル《調査》ルート
今回は下調べなしの《調査》だったため各地点で歩きまわり表示の時間よりもだいぶかかってます。100年以上も前のこの建造物が残ってる間に、一度見てみてはいかがでしょうか。